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自我と他者。

完璧に自分を意識から外した状態。
自分と周囲との境がなくなった状態。
その瞬間のえも言われぬ巨大な幸せ。
生きるにおいて、自我は必要不可欠なものであり、
しかし、同時に時として生きる行方を撹乱するものでもある。
他との関係の中に生まれる葛藤。逡巡。
やがて、それらも凌駕して自らの中に確かめる独立した心。
平和な心。
優しい心持ち。
温かな感触。
自らに執着する気持ちは、他を受け入れる気持ちと均衡を保って、
自分と他との境が消えていく。

Il paesaggio di nostra terra.

KURARAY Co., Ltd + NABA University Collaboration Project @NABA: Via Carlo Darwin 20, Milano

Installation by S.C. Artroom
Il paesaggio di nostra terra.
5.5 x 4 x 2.8 m @ Naba universita.

Il paesaggio della nostra terra.

Il fashion business è diventato una realtà gigante.
Tanta gente utilizza i vestiti per esprimere la sua identità
trasformabile: costume play.
I vestiti sono le presenze più forti che le persone che li indossano.
I veri protagonisti sono i vestiti che le persone, oramai.
Li producono, e producono di più in continuo.

Gli uomini nascono e finiscono la loro vita alla fine, e scompaiono la presenza fisica, perchè siamo organici.
I vestiti invece nascono, e possono rimanere sempre fisicamente, sia i tessuti sostenibili, e sia non, finche non vengono bruciati.
Non sappiamo quante tonnellate dei vestiti prodotti in più ogni anno.
In 50 anni, e in 100 anni, ancora in 150 anni?
La nostra terra sarà coperta con i vestiti.
Sarà un paesaggio caratteristica della nostra terra, forse l’unica, nella nostra pianeta?

Miyuki Yajima di S.C. Artroom

SPAZIOPLAY

Il mondo sta cambiando velocemente.
La società è come un liquido che corre continuamente.

Non c’è più un concetto di stabilità. È tutto fluttuante.

Anche lo spazio commerciale dovrebbe essere molto flessibile, se pensiamo alla velocità del consumismo, dei pensieri e dei gusti.

Il negozio come spazio di vendita può essere molto leggero, trasformabile e non costoso, adeguando il cambiamento veloce del consumismo.

Lo spazioplay, perché ormani tutto è un gioco.

MIyuki Yajima di  S.C.Artroom

 

@COSTRUZIONI: Corso Garibaldi 5E, PAVIA// Concept and Space Design, & Artisanal Realization by S.C. Artroom

REFLECTION デザイン再考

ネアンデルタール人の時代から10万年が経っている。
その時代から、人類は道具を作り、花を飾り、小さな岩
に座って、より心地の良い暮らしを心がけてきた。
長い年月と共に、人の暮らしの内容も方式も変わり、技術も
変わり、使用できる素材の幅も大いに広がって、人類は
望む暮らしのあり方を各々が選択できるほどに、道具や家具の
製造に力を入れてきた。
椅子、机、車、コンピューター、等々。
10万年というもの、道具と家具を考案し続け、作り続け、
購入し続けてきている。
快適な暮らし、という名目のために。
これはしかしながら、逆に道具や家具によって我々人類の暮らしが
操られているということでもある。

現代の各種の環境の問題、素材の浪費の問題、食料の問題。
これらに脅かされつつ、しかしながらこれらはいずれも我々が
生産し続けてきたことの利子であることを苦い思いで
かみ潰している。
ここに至って、そろそろ、我々は10万年踏襲し続けてきた
手法が問題多き現代そして未来においても有効であるのか否か、
についての考証が必要になっていると思う。

人類は、少し前からすでに、快適さを求める時代から、健康な暮らし、安全な暮らしといった人間の存在を守る時代にある。
健康な暮らし、安全な暮らしとは何かといった、人間の存在を守るという意識が必要な時代にある。

快適さを追求し続けてきたこの10万年から、安全、健康といった人類を
守る時代へ。こうした意識の変革が必要な現実に人類は生きている。
意識の変革がもたらすデザインの方向の変化について敏感になるべきである。

各々が道具や家具を使おうとするにおいて、自分の意識と
判断に照らし合わせる、つまり、自分が自分を守るにおいて、有効な
道具や家具の選択をしていくことが必須となっていくことだろう。

今回の対談シリーズは、こうした意識の変革がもたらす道具や家具のデザイン
の変革を考えるヒントを与えてくれるはずである。

矢島みゆき

2018秋冬ミラノコレクション。素材から。

ANNAKIKI

2018-19秋冬のミラノコレクションは、盛況
のうちに2月26日、幕を閉じた。
参加メゾンの数は156。ショーが61、展示会
は92。
新しいメゾンの参加が増えて、若いエネルギー
が活気を注いだ今回のミラノであった。
世代交代は確実に進んで行く。
グッチのミックスの手法は、今やそこかしこ
に蔓延し、それが故にミラノコレクションは
カレイドスコープよろしく色や文字の散る華
やかな印象を見せた。

今回のコレクションは、素材の選択にも広が
りが見られる。
21世紀に入って以来、一様にヘリテージと
いう企業倫理が大いに語られるようになった。
さらにエコロジーというヴィジョンも相まっ
て、かつては当たり前に使用されていたカシ
ミヤや各種ウール、コットン、リネン、シル
クなどの天然素材についてその製法や加工法
などの特に手仕事に焦点が当てられてきた。
それが故に過去を振り返るといった懐古的な
気分に引きずられがちであったとも言える。

そういう期間を経て、今、ミラノは再び力
強く前進の方向にスイッチを切り替えた。

ここ2シーズンというもの、大胆なナイロン
やビニールの使用例が目立っていた。
今回も、前回にも増してこれらの素材の応用
がここかしこに見られた。
単に若いメゾンにとって経済的な解決である
といった理由のみならず、透明感や軽さが時
代の感覚を表しているように感じられる等も
あろう。下に重ねた柄が透けて見えることの
面白さ、質量を意識させないが、光によって
その存在が強調されるなどの特徴が魅力的だ。
今や避けて通ることはもはや不可能な工業生
産の方式。現実を見据えた時にそれが可能と
する各種のテクノ素材、人工素材が再び浮上
していることには、全く不思議はない。

プラダは、80年代にポコノというナイロン
を使った黒のザックやバッグで爆発的な人気
を取り、それ以来躍進の一途をたどって現在
に至っているが、今回の婦人コレクションに
おいてもこの懐かしい黒のナイロンのコート
が新鮮に映った。実に魅力的であった。
同メゾンは、他にラバーを用いたアグレッシ
ヴな長い丈のジレや、チュールの袖なしのフェ
ミニンなドレスなど、人工素材を積極的に使
用した。それらを組み合わせたその結果はこ
の上なく現代であり、あるいは未来をすら思
わせもする内容となった。

モンクレールは今も変わらず、ダウンを用い
たコレクションを発表しているが、今回は5
人のクリエーターを招いてのインスタレーショ
ンで各人のコレクションを見せるという形式
をとった。
ヴァレンテイーノのクリエイテイヴデイレク
ター、ステファノピッチョーリは、ダウンと
いう素材ならではのフォルムを考案した。あ
たかも古代エジプトの神殿のなかの彫像を見
るかの、あるいはSF映画の1シーンを思わせ
るかの縦長の円錐型のダウンのインスタレー
ション。
そこに漂う緊張感は、観るものの心を大いに
刺激する、非現実の魅惑的な内容だった。
ID誌の編集者は、このインスタレーションに
魅入ってしまい、このダウンを買いたいと思っ
ている自分を発見した、と興奮していた。
80年代に言及するメゾンが多いなか、当時
のヴェルサーチェの、さんざめくスパンコー
ル刺しゅうで埋めたドレスを彷彿とさせる光っ
たラメ入りの素材もまた、幾つものメゾンが
使用していた例の一つである。その技術でポッ
プアート風に絵を描くメゾンには、モスキーノ
などが挙げられる。

PVCを好んで使うアンアキキのデザイナー、
アンナヤングは、エネルギーと才気に満ちて、
間違いなく、今後を牽引するデザイナーの一
人である。モヘア糸のポケットが付いたウー
ルのコートの上にさらに透明なPVCが重ねら
れたコート。テカテカに光るエナメルのコー
ト。カシミやのパーカの下にオーガンジーの
スカート。こうした組み合わせでスタイルを
作っていく彼女の服の素材もこの上なく今を
表している。
”今の勢いで服の製造を続けていったら、2050
年には現在の3倍の水や大気の汚染が現実化
するという計算になります”、とアンナはいう。
”トレンドを意識することもありません。
大きく売り上げを上げるとか、より広い市場
を獲得するとか、そういうことは目的ではな
いのです。考えて、ゆっくり丁寧に長く着ら
れるものを少なく作る。これが私のモットー
です、”と語るが、彼女の服の素材はこの上な
く今を表している。”PVCとウレタンは応用範
囲が広い、”と毎回使用している。
また、フェンデイは、チェックの布帛の上に
PVCを凝着によって一体化させた素材による
トレンチコートなどを通じて、メゾンの、工
業的なハイテクノロジーとの関係を今回も表
明していた。

一方、いうまでもなくモヘヤやカシミア、シ
ルクなどの天然素材も健在である。
特に皮革のすぐれた応用例が目に付く。
スウェードやナッパ、エナメル加工を施した
皮革、ムートンなども含めて、これらは極力
エコロジーの意識に沿って服の製造を行って
いくという姿勢の提示でもある。皮革を扱う
において不可欠な高いレヴェルの手仕事への
誇りの表れでもあろう。
例えば、トッヅもナッパを見事に操って革製
品のメーカーとしての面目をさらに躍如した
感がある。50−60年代の花柄のスカーフや80
年代の連続柄のスカーフをそのまま復刻させ
たシルクのドレスやブラウス。グッチやヴェ
ルサーチェにこうした素材使いも伺われた。
当時との違いは、スタイルがトラッシュな点
だ。グッチはその上に豹柄プリントの上着を
合わせ、そのモデルのクローンの頭部を腕に
抱えさせて現れた。アルマーニ氏は、”行き過
ぎである”、という談話をすかさず発表したが、
中国人バイヤーホーさんは、自分のお客だけ
に限った数字ですが、と昨年比の85%増の売
れ行きであると,微笑みながら語っていた。

前回のイタリアファッション協会主催の、グ
リーンカーペット賞の流れも消えてはいない。
ヴォーグイタリアとユックスは今回11回目
になる新人発掘コンテストをグリーンタレン
ト賞という名称に変えて、各国籍の7人を選
んでコレクション期間中に発表の会を開催し
た。
若い世代のこのテーマへの関心は思いの外高
い。
メラニーブラウンのブランド、バイブラウン
は雨用の服を得意とする。その素材は、使い
終わったコーヒーの粉あるいは乳酸菌などに
リサイクルのポリエステルを組み合わせて作
り出す。コーヒー粉による素材作りのキャリ
アは10年になるという。オランダ人ならでは
日常から発したアイデアだ。”無駄をしない、
無駄にしないというのが私の基本的な姿勢で
す”。すでにエコロジー関連の賞を受賞してい
るイタリアのテイツイアーノグアルデイーニは
この度は、ソステキブルなコットンのデニム素
材メーカーと蚕を殺さぬように防御したエコオー
ガンジーとで織り上げた素材、ジーンズの毛皮、
を用いてジーンズとは思えぬ柔らかなシルエッ
トのロングスカートなど50点のコレクションを
披露した。

エコロジー素材の開発には、意識の問題のみで
は解決できない各種の工業的な技術が不可欠で
ある。一般素材の3倍の費用がかかるという。
リサイクルとソステナブル。若い世代がこの意
識のもとに少しづつ、服の社会的な意味や役割
を思考しながら、新たなファッションの価値観
を作り上げていっている、という手応えを覚え
た。避けては通れぬ将来の課題であろう。

了。

 

2018 春夏ミラノコレクション、第2弾。

この9月に開催されたミラノコレクション
は、展示会の数が102、ショーの数は61、う
ち10ブランドは男女の合同コレクションの形
態で発表された。
これだけの数を追いかけるために、ひたすら
時間と戦う5日間であった。あと1日あれば、
という声も少なくなかった。

今回のミラノでは、アシンメトリーな分割、
スポーツシック、フリルレース、デニム、ナ
イロン、PVC、軽さ、透明感、重ね、幾何柄、
藤色、ピンク、光、ギャザースカート、言葉
によるメッセージなどが目立つ。ロマンチッ
クでフェミニンでありつつ、スポーツウェア
やサブカルチュアの、機能的で飾らない快適
さをも満たす、現実的な女性像の提案が目立
つ。服の上に漫画や絵画、あるいは写真、言
葉も載せて、今や、服は意識の表現の手段と
して定着してきてもいる。

ピクセル風の幾何柄、PVC、インテリア用
の布帛、アシンメトリーな配色、手刷りの
版画風合いのプリント、ゴムによるウェス
ト部分のシャーリング、重ね着、パッチワー
ク、レース使い、フリル、フリンジ、透明
感、金糸銀糸による刺繍、バッグを服に一
体化したミニマルなデザインのドレスなど。
デキリコ、ポップアート、ハインツスタン
グル等からのヒント、繊細な色のニュアン
ス、タトウ風の柄。
これらの組み合わせによって、アートの表
現にまとめている。
言葉を服の上に描くことで、イデオロギー
を伝言として表している
例もある。
概して、これまでのミラノの、上質な素材
を用いて、完璧な仕立ての機能的なデザイ
ンの服とは異なって、グランジの傾向、ス
トリートの傾向、より自由な表現を望む傾
向が、アートを取り込んだモードとして訴
えてくる。あるいは、ヴェトマン、スプリー
ムのような、野暮ったさを特徴とする服や
スケーターの服装など、サブカルチュアの
価値観が漂ってくる。

ミラノの既製服のコレクションは、かれこ
れ40年に及ぶ歴史を積み重ね、年商は870億
ユーロに達している。中国と韓国を筆頭に輸
出が6%の伸びを示しているというのも、朗
報である。
この10年の間にデジタルの発達と普及とに
よって情報の流れや情報の収集能力が大きく
変化し、そのために人々の暮らしの価値観や
生き方も際限なく変わってきている。
1980年までに生まれた世代とミレニアム世代
とではミラノコレクションの理解も異なれば、
市場の要求も二分される。
前者は高品質、高級素材、手仕事、ラグジュ
アリを要求し、後者はエコロジカル、ソーシャ
ル、自由なスタイルに敏感である。ラグジュ
アリを追求する80年代以来の重鎮が健在であ
る一方、ヴィエン、アンナキキ、MSGM、no.21,
アンベッセル、プリージ、アルビーニ、コラ
ンジェロ、ヴァノッテイ、ミアオランなど急
速に数を増やしている若いデザイナー達は、
より自由でカジュアルなストリートスタイルを、
今回はロマンチックな気分でまとめていた。

そのような状況を見越して、ヴェルサーチェ
はジャンニヴェルサーチェが亡くなって20
年の追悼として、ジャンニの時代のスーパー
モデル達を使って当時のコレクションを再現
して見せた。ドルチェエガッバーナも80年
代当時の彼らの情熱的な雰囲気を感じさせ、
プラーダでは、80年代に同ブランド再生の
基礎を作り上げたナイロンのバッグやコート
も登場させていた。フェッラガモもブランド
の  周年を記念して大掛かりなショーを開
催。ミッソーニでも40周年を讃える夕食会
が開かれた。80年代は、若い世代にとって
は過去ではなく、未来に等しい。

今回も双璧はプラダとグッチ。
プラダは、今回も意識の高い、決して流され
ない反体制の女性、アンアーグラウンドでア
ンドロジーナの、強い女性を提案して、強烈
な印象を残した。
9人の女性の漫画家の作品の組み合わせから
なるプリントのコート。各々のモデルの服装
には、異質の要素複数がぶつかり合うところ
に生まれる反発のエネルギーの総体が火花を
照らす。これは、伝統的な西洋の美意識に順
応するのではなく、逆にそれに反抗するもの
である。よりパンクに近い。
グッチは、膨大な具体的情報の破片を組み合
わせた手法でコレクションを構成して、今回
もマニエリステイックなコレクションを発表
した。ヒップスターや漫画の主人公の気分を
味あわせてくれるグッチは、いわばコスプレ
世代にとっては、この上なく、変身願望をそ
そるコレクションなのに違いない。現実的に
様々な要素を混ぜているので、一見グローバ
ルで多様性に満ちて映るが、現実的にはそこ
にはオリジナリテイはない。前回、NYブルッ
クリンの服の仕立て人、ダッペルダンの80
年代の服のデザインをグッチが無断で使用し
たということでクレームがつけられたことも
グッチの現実を語るものである。

グッチは10月 日、今後一切、毛皮は使用
しないというという声明を発表した。
アルマーニ、マッカートニーなどに続く決断
である。
今回のミラノコレクション最終日の夜、第
1回目のグリーンカーペットファッション賞
の授賞式があった。暮らしの環境、地球の環
境保全を考えながら、ファッションビジネス
を展開していこうとする決意を、ミラノファッ
ション協会がエコエイジとともに、ICE、経
済産業省の支援を受けて表明したものである。
廃材から新素材を作る企業は、すでに存在し
ている。100%植物性のスェード風素材を作
るGRADO ZERO,オレンジの皮から作るオレ
ンジファイバーのメーカーADRIANA,使用済
みの漁師の網から作るキルテイングのメーカー
ECOALF,革風の素材を作るVEGEAなどがそ
れである。
会場となったスカラ座は、全館が各界から
の着飾った招待客で埋め尽くされ、スカラ座
前の広場には合計2000本の木々が植え込まれ、
周辺の幅広い区域を警官の警護付きで立ち入
り禁止にして、ものものしい状況でのイヴェ
ントであった。それだけ、入れ込み方の大き
い決意であるということに他ならない。
これまでのミラノコレクションが引きずっ
てきたのは、伝統的な古典の美であった。
バランスや配色や黄金分割などにおいて、明
確なかつての美意識が基準となって作られて
いたミラノの服は、それが故に世の人々に賞
賛されてきたのだと思う。
ミロのビーナスやレオナルドのモンナリーザ、
カノーヴァの彫刻、アドリアーノの館、ジオ
ポンテイのモンテカテイーニの建築物等々。
それらに伺がわれる見事な配分が作り出す美。
それが基本であった。
アルマーニ、エトロ、ゼニア、トッヅ、フェン
デイなどが発表するコレクションは、安心し
てみていることができるのは、われわれが慣
れ親しんでいる過去の美意識の延長線上にあ
るからだ。
ほんの少しでも、その基本からずれると、わ
れわれの目は意外な風に反応する。
さらに世界にとってのミラノコレクションの
魅力は、素材や縫製の巧みさにある。毛皮を
除去し、現代感覚の人工素材を外し、新たな
リサーチによって実現されるであろう廃材や
廃棄物を土台にした持続可能な新素材を採用
して作られていくファッションは、これまで
の美意識やこれまでに存在した美の価値観と
は大きく異なったものに展開されていくこと
であろう。
使用素材が変われば、出来上がる服のフォル
ムも変形する。
また、既成の経済的な価値観からなる服の価
値ではなく、エコロジカルで持続可能である
か否か、環境への影響には問題があるかない
かといった、目に見えない意識の部分が問わ
れる、その意識についての価値観が服の価値
観に連なっていくという状況が作られていく
ことであろう。
ミラノの服のこれまでの伝統を大きく超える
別の価値観に支えられるものとなるはずであ
る。
それがどのようなフォルムや素材感となっ
て提案されていくのかは、まだ予測ができな
い。

いうまでもなく、消費市場なくしては存命し
得ないファッションの世界ではある。それだ
けに、300万ユーロの大枚をはたいた今回の
決意の発表は、イタリアファッション協会に
とっては、意味深いものなのであると言うこ
とであろう。
一年に4−6回のコレクションの発表とそれ
に続く製造という消費の現実に生きるファッ
ションビジネス。
このビジネスが抱えるのは、単に使用素材が
エコロジカルであるか否か、動物愛護の精神
に則っているか否か、石油の消費量が大きす
ぎないか、といった問題のみではない。製造
に関わる第3世界の労働者の人権や消費・貨
幣経済への認識の問題なども解決されていか
ねばならない。そこまでを考慮して成り立つ、
新たなファッションシステムの構築への決意
であって欲しいものである。

ミラノコレクション2018春夏

この9月に開催されたミラノコレクション は、展示会の数が102、ショーの数は61、う ち10ブランドは男女の合同コレクションの形
態で発表された。
これだけの数を追いかけるために、ひたすら 時間と戦う5日間であった。あと1日あれば、 という声も少なくなかった。 今回のハイライトは、イタリアファッショ ン協会の第一回のグリーンカーペットファッ ション賞。持続可能な素材なども含めて、地 球環境の保全を狙いとする賞の誕生である。 この決意が生み出す今後の成果を見守りたい。 その歴史が40年に及ぶミラノの既製服のビ ジネスは、今日、870億ユーロに達している。 対中国と韓国への輸出も6%の伸びを示して
順調である。
今回のミラノでは、非対称の分割、スポー ツシック、カジュアル、軽さ、透明感、光、 重ね、フェミニン、ロマンテイシズム、フリ ル、レース、デニム、ナイロン、PVC、など が目立つ。繊細な色のニュアンス、漫画や、 あるいは写真あるいは言葉を用いてアートと しての表現や意識の伝達の手段とする服の例 も珍しくなくなって久しい。 80年代がちらつく。
1980年までに生まれた世代とミレニアム世代 とではミラノコレクションの理解も異なれば、
市場の要求も別である。 前者は高品質、高級素材、優れた手仕事、ラ グジュアリを要求し、後者はエコロジカル、 ソーシャル、自由なスタイルに敏感である。 ミラノでは、完璧な高級感を追求する80年代 以来の重鎮が健在であ る一方、ヴィエン、アンナキキ、MSGM、no.21, アンベッセル、プリージ、アルビーニ、コラ ンジェロ、ヴァノッテイ、ミアオラン、デヴィ ンチェンツオなど急速に数を増やしている若 いデザイナー達は、前者のグループに比べる とより自由でカジュアルなストリートスタイ ルを、今回はロマンチックでフェミニンな気 分にまとめている。

1980年代はポストモダンの時代である。 歴史の中の幾つもの異なる時代の、異なる様 式や形式や美意識などを要素に分解して、組 み合わせ直す。 このポストモデルニズムは、いわば、現在の 情報化社会の創造の方式への、先駆けたる存 在である。 今我々が生きているこの世の中は、まさに各 種情報の幾多の破片のつなぎあわせが作り出 す偶然の産物をクリエーションと呼びさえす
る。
ここには、概念の抽象化は存在しない。 現在のグッチの手法はまさに、この80年代、 ポストモダンのそれに他ならない。
様々な要素を混ぜているために、グローバル で多様性に満ちているように映る。今回も膨 大な具体的情報の破片を組み合わせると言う いつもの手法で、マニエリステイックなコレ クションを発表した。ヒップスターや漫画の 主人公を身近に感じさせてくれるこのブラン ドは、いわばコスプレセルフィー世代にとっ ては、この上なく、変身願望をそそられるコ レクションなのに違いない。 前回、NYはブルックリンの服の仕立て人、 ダッペルダンが80年代の服のデザインをグッ チが無断で使用したということでクレームが つけられたという出来事もグッチの現在の手 法の何たるかを語るものである。 一方、プラダは、同様に多種の情報を取りい れつつ、今回も反体制の女性、アンアーグラ ウンドでアンドロジーナの、強い女性を提案 して、強烈な印象を残した。 9人の女性の漫画家の作品の組み合わせから なるプリントのコートにみられるように、各々 のモデルの服装には、異質の要素複数がぶつ かり合うところに生まれる反発のエネルギー の総体が火花を照らす。これは、伝統的な西 洋の美意識に順応するのではなく、逆にそれ に反抗するものである。よりパンクの意識に
近い。
そのような状況を見越して、ヴェルサーチェ はジャンニヴェルサーチェが亡くなって20
年の追悼として、ジャンニの時代のスーパー モデル達を使って当時のコレクションを再現 して見せた。ドルチェエガッバーナも80年 代当時の彼らの情熱的な雰囲気を感じさせ、 プラーダでは、80年代に同ブランド再生の 基礎を作り上げたナイロンのバッグやコート も登場させていた。フェッラガモもブランド の 周年を記念して大掛かりなショーを開 催。ミッソーニでも40周年を讃える夕食会 が開かれた。80年代は、若い世代にとって は過去ではなく、未来に等しい。 了

新年に及んで。

 

知人を亡くした。病気でいたことを知らされなかったのでとても驚いた。同時に、突然に体の内側から何かを力づくでもぎ取られたかの深い一種の暴力をも覚えたことも確かであった。同じ思いは、今から4ヶ月前に、別の友人からも抱かされていた。遡って、かれこれ1年前にも、私より30歳くらい若かった知人の死が私を一時的なパニックに陥れたことを思い出している。人の命には限りがあると知ってはいても、現実にそれを知らされるとその都度、慌てざるを得ない。理不尽なことが起きたような気分に陥ってしまう。この世に在ることが私にとって当たり前になってしまっている存在がふといなくると、裏切られたような気持ちになるのはなぜだろう。私の不遜さに由来するのだろうか。一期一会。幾度となくこの言葉を自ら使いつつ、未だに後悔後に絶たずの日常を繰り返す私の愚かさ。何歳になってもちっとも学びきることがない。アメリカの政権をトランプが握ったことによって世界の動向は必ず変化することだろう。これまで大手を振ってはびこっていた独占的権力体制は自ずと壊れ、新権力に取って代わることだろう、しかしながらそのトランプとて、最終的にはその上に君臨するより中枢の最高権力の前には逆らえないことも多くあることだろう。つまりは、我々には所詮関わりのないことなのだ。中枢権力の奴隷たる我々の未来は、決して明るくない。暮らしはますます厳しくなっていくことだろう。職を失う人の数も大きくなっていくことだろう。少ない余剰所得を巨大な人数で割っていかねばならない。病に倒れる人、ストレスに倒れる人の数も増えていくことだろう。そういう時代にあって、何を以って生きることを肯定していくことができるのか。それは、ひとえに自分を生きることだと思う。自分がどのような特性を持ち、どのような感性を持ち、どのような人々と一緒にいることを望むのか。どのような夢を実現させたいと願っているのか。どのような環境にあるときに快適さを覚えるのか。自分についてを把握したあとでそのような自分の快適さを実現するように努める。自分を生きるとはそういうことを指す。限られた時間を心ゆくまで使うこと。

般若心経。

 

必要があって般若心経について読んでいる。その教えがハイゼンベルクに一致していることに改めて驚いている。
ハイゼルベルクの著書、部分と全体(1974年)は、私の70年代における指導者の一人であった。
当時は歳の多い友人が、唯識はむずかしい、と語るのを頭でのみ受け止めるだけの力しかなかった。
それゆえに、自分が調べていた科学史の先輩たちの教えと、唯識の間の関連について思い至ることすらなかったのである。
今、この歳になって、仏教への関心が募り、また周囲の必要にも応えんとする意欲も拡大して、
般若心経に触れた時に閃光が走るほどの刺激を体験した。

受け止める。

 

疑問を持つことは重要である。それは解決に向かう最初の一歩である。
しかしながら、時として疑問を封じて、起きたことを現実をそのまま受け止めるということが、そのまま問題解決の道であったりすることもある。
そのまま受け止めるということは言葉で言うほど容易ではない。質問や疑いや説明を持ちたがる習慣にあるからだ。そして、そういう態度の方が論理的であるというように思い込まされているからである。
1人の人間が理解できる範囲のことには限りがある。必ずしもわかることばかりではない。判らないことは、時として放置するほうが良い。そこに問いを発生させると穴にはいこんでしまう。どれだけ調べても判らないことというのはある。
例えば、他人の心の中や頭の中というのは、どれだけ考えたところで、判るのには限界がある。関係に問題が生じた時には、その現実を受け止めるのが最も努力の要らない解決法である。一旦受け止めたところで、自分のその先の行末を考える。寿命は延びたとはいうものの、永遠には生きながらえるようになった訳ではない。必ず終わりがやってくる。判らない問題にしがみついて、問いを発し、その問いに対する答えを探そうとあぐねてもいたずらに時間が過ぎるだけ。期限付きの時間の無駄使いである。
始まりがあれば、それには必ず終わりが付いてくる。終わりを知らされた時に慌てるのは無様である。
終わりを知らされたら、それを受け止めてその先を試行する。過去には囚われない。
終わったものは終わったのである。それを認めることによって、終わったものが別の内容に変化して新たな始まりになることも多いにある。
わたくしたちの大方は、天候の変化をなぜなのかと突き詰めることに夢中になりはしない。先ほどまで燦々と照り続けていた太陽が暗い雲に隠れて雨が降り出しても、事実として受け止める。なぜ太陽が照り続けてくれないのかという思いに執着することはない。天気の変化は事実として当たり前に受け止める。
同じ思考を応用すれば良いのである。人生は長いようで期限がある。過去に執着して悶々とする時間はない。過去を振り切って先に進むことで、ある時、明確に物事の因果や経過が見えてくるものだ。



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