アルマーニの背中  ウィンズ12/1990

アルマーニの背中

  アルマーニのコレクションには、ピアチェンツアでの幼少時代の記憶が散りばめられているように思える。まるでフェリーニが生誕地リミニの思い出から、名作「フェリーニのアマルコルド」を撮影したように。現在アルマーニを知るためには、彼の人生を遡っていくことが、いちばんの早道なのかもしれない。

バイヤーからデザイナーへ 
「モードの道に入るとは考えていなかった」
と,いうジョルジオ•アルマーニ。彼のデザイナーとしてのキャリアは、「ニノ•セルッティ」から始まるが、その基盤を作ったのはデパート「リナシェンテ」での7年間だった。
 活気にた充ち充ちていた50年代のミラノ。偶然のことから入社したリナシェンテで、バイヤーのアシスタントの職に就いたアルマーニは、イタリア各地の関連会社を回りつつ直接的にモードのメカニズムを学ぶ。さまざまな階層の人々が集まるデパートでは、それぞれの人の趣味の違いや志向の変化する速度、そして売れる服とは何かということなどを教えてくれた。
 「その頃の私はまだミラノが分からず、生きるのもかなり下手でした」
と、アルマーニは当時を回想する。
 セルッティに移ったのは7年後の1964年。そこでは、アイディアをインダストーリーの能力でいかに表現し尽くすかを学んだ。1974年に共同経営社となるガレオッティ氏に出会ったことで、アルマーニはさらにモードの道へ自ら推し進めることになる。建築や工業デザインのプロジェクトの進め方に慣れていたガレオッティの力を得て、アルマーニの服作りに臨む態度は一層、インダストリアル•デザイナー的な内容を濃くしていく。
 決してアーティストの服作りではない。常に、工業生産システムにのせられる内容だけを完璧に現実させていくというやり方だ。アルマーニは、工業的に服を生産することの意味や限界を熟知している。インダストリアル•システムの抱える限界は、彼にとっては逆に創造力を刺激するものになっているようですらある。

インダストリーが服を作る
 オートクチュールはいわば職人の仕事である。プレタポルテこそがインダストリーと連動して実現し得る仕事だ。工業的手法によって、豊富なバリエーションの美しい服を作っていくのは、ひょっとするとオートクチュールの手法によりむずかしいもではないか。アルマーニはアイディアを工業的要因に分割して、さらに組み立て直す力を持っている。彼のそうした能力とイタリアのメーカーの能力とが結合することによって、アルマーニの今のコレクションが存在する。
 アルマーニがパートナーを組んでいるイタリアの最大手のひとつG•F•T社は、主にアメリカ向け商品を制作するインダストリアル•メーカー。G•F•T社は、すべての製品について細部に至るまで、コストを下げ、質を上げていくという点に留意したシステムにのせて製造を行う。そうしたシステムを完璧に理解して仕事に臨んでいることが、アルマーニを現在の成功に結びつけたといえるだろう。
 だいたい、50年代のイタリアでは、インダストリアルも生産ラインの服では肉体の欠点をさらけ出しても仕方がないという認識が普通だった。体の欠点を隠したければ、仕立て屋に足を運ぶしかなかった。そうした時代にアルマーニは、セルッティに籍を置きながらすでにインダストリアル•メーカーを使って、人体をよりきれいに見せる服を現実させようと務めていた。
 それまでのアメリカ式のストンとした平らなジャケットを良しとせず、肩をより大きくし、ウエストを少し絞って、後身頃の丈を前身頃よりいくらか短か目にすることで背を高く見せる。「使いこなした服は新しい服よりエレガントである」「ファット•ウノのように、すべての人によって肯定的に受け止められ、かつ細部においては他とは違う、というのが真のエレガンスだ」「服は売れた時こそが、成功したときなのである」というコンセプトを持ち、裏布を取り払って、柔らかい仕上がりのジャケットを作りだしたのである。しかも工業生産の工程にしっかりのせて。 
 世の中の変化を見るのに敏感なアルマーニは、1965年にはすでに、                           「イタリアは変わりつつある。他人に見せるために人は服を着始めている」                      と、来るべき「モードがステイタス」という時代を読んでいた。
 こうして、74年の独立を契機に、アルマーニはとどまることを知らずに、常に時代の風を人一倍早く敏感に感じとりながら、またたく間に時代の寵児となった。
彼は育った町が、彼を育てた
 赤レンガの市庁舎が建つ「馬の広場」には、毎週、近郊から農作物が運ばれて市が開かれる。広場には農作物を運んできた黒い自転車が何台もつながれている。
 1930年代のエミリアロマーニャ州、ピアチェンツア。戦時下にあっても、この町は豊かだった。農作物は、相変わらず収穫されていたからだ。
 暑い夏の日曜日。 
 広場にある教会にも、そして広場にも多くの人が集まってくる。
 くすんだグレーのジャケットにグレーのジレ(ベスト)、細く長い衿のシャツにグレーのネクタイ、頭にはグレーの帽子を被った男たちは、農民である。女性たちは、まる衿の、花柄が散るコットンのグレーのワンピースを着ている。前身頃に3〜4つのボタンが並んでいる、ウエストを絞った細身のワンピースだ。足元は白い靴下にローヒールを合わせて。
 医者や弁護士などは、生成りのリネンのスーツを着ている。ウエストがやや絞り気味で肩の張ったジャケットに裾つぼまりで腰までゆったりとしたパンツ、そしてパナマ帽。白いシャツは長く細い衿。ネクタイは幅広のクリーム色。艶消しの白い靴をはいている。
 子供たちはというと、お下がりの、ひざ下丈のグレーのズボンをズボンつりをつけてはいている。そしてウールの白いTシャツにサンダル。
 アルマーニは1934年、このピアチェンツアに生まれた。彼の子供時代は、イタリアがファシズムから戦後を経て、ナイロンの靴下やチューインガムをもたらしたアメリカへの憧れを抱き始めた時代だった。アルマーニは、まさにこうした30年代、40年代のピアチェンツアの人々の装いに大きく重なっている。自身、幼少期を過ごした30年代の記憶へのノスタルジーがストーリーになって散りばめられるているように思われる。
 1974年の独立以降、あらゆる賞を次々にさらい、「今日のモード界における天才」と謳われるアルマーニの輝かしい履歴書の裏側には、彼の育った時代の田舎の静けさに通ずるものが明らかに見え隠れしている。シンプルで極端さを回避したモード、そして凝った素材、アルマーニのコレクションのこうした特徴はまさに他ならない。
 アルマーニのコレクションの中にはイタリアの会社が戦後、アメリカ軍の進駐以降すっかり失ってしまった地方都市のゆかしい伝統や倫理や目立たぬことを良しとするエレガンスなどが今に息づいている。それは、そのまま昔の上質な生活の提案ででもある。
 ジョルジオ•アルマーニは、時代を読む力において、また現実を見て取る力において現代人の中でも最たる現代人である。それでいて彼の心の中には、かつての伝統社会の風景がしっかり生き続けている。
 アルマーニはこのふたつのベクトルを抱え続けながらモードを通じて彼自身の歴史を刷り直しているかのようだ。

ウインズ 日本航空国際機内誌 December 1990  矢島みゆき