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受け止める。

 

疑問を持つことは重要である。それは解決に向かう最初の一歩である。
しかしながら、時として疑問を封じて、起きたことを現実をそのまま受け止めるということが、そのまま問題解決の道であったりすることもある。
そのまま受け止めるということは言葉で言うほど容易ではない。質問や疑いや説明を持ちたがる習慣にあるからだ。そして、そういう態度の方が論理的であるというように思い込まされているからである。
1人の人間が理解できる範囲のことには限りがある。必ずしもわかることばかりではない。判らないことは、時として放置するほうが良い。そこに問いを発生させると穴にはいこんでしまう。どれだけ調べても判らないことというのはある。
例えば、他人の心の中や頭の中というのは、どれだけ考えたところで、判るのには限界がある。関係に問題が生じた時には、その現実を受け止めるのが最も努力の要らない解決法である。一旦受け止めたところで、自分のその先の行末を考える。寿命は延びたとはいうものの、永遠には生きながらえるようになった訳ではない。必ず終わりがやってくる。判らない問題にしがみついて、問いを発し、その問いに対する答えを探そうとあぐねてもいたずらに時間が過ぎるだけ。期限付きの時間の無駄使いである。
始まりがあれば、それには必ず終わりが付いてくる。終わりを知らされた時に慌てるのは無様である。
終わりを知らされたら、それを受け止めてその先を試行する。過去には囚われない。
終わったものは終わったのである。それを認めることによって、終わったものが別の内容に変化して新たな始まりになることも多いにある。
わたくしたちの大方は、天候の変化をなぜなのかと突き詰めることに夢中になりはしない。先ほどまで燦々と照り続けていた太陽が暗い雲に隠れて雨が降り出しても、事実として受け止める。なぜ太陽が照り続けてくれないのかという思いに執着することはない。天気の変化は事実として当たり前に受け止める。
同じ思考を応用すれば良いのである。人生は長いようで期限がある。過去に執着して悶々とする時間はない。過去を振り切って先に進むことで、ある時、明確に物事の因果や経過が見えてくるものだ。

Leonardo Cohen

 

ジョンバエズは良く聴いた。コンサートにも行った。
ボブデイランも良く聴いたものだ。
そのボブデイランがノーヴェル賞に輝いたという。嬉しいことだ。
でも彼らのことは今となってはどうでも良い
レオナルドコーエンの前には誰もかなわない。誰も。
完全に虜になってしまった。
時間さえあればコーエンに聴き入って、心の琴線を揺り動かしている。まるで、10代の女の子のように。
この3曲が私を捉えて離さない。低く響く声、ライヴのヴィデオの画面に映る82歳のコーエンのチャーミングな仕草、特別なオーラ、知的な風貌、悟りを識る落ち着き、包み込むような温かさ、諮詢に満ちた言葉、何かを克服した体験を持つ人に独特の落ち着き、官能的な強い魅力。若年の彼にはほとんど惹かれない。声にも惹かれない。
強い魅力を放つのは80歳から82歳の彼である。
仕事に続く仕事の連続で、いつの間にかそうした日常のリズムを当たり前のものとしていた私の心を突き上げるように深いところから揺すぶって、感情を掘り起こしてくれた恩人である。今なお、彼の歌を聴くたびに涙が流れだす。毎回涙を流すたびに心の中の何かが動き、そして軽くなる。コーエンは治療薬でもある。
完璧な仕立てのシャツとスーツに身を包み、ボルサリーノをかぶって、地面に膝まづいて歌うコーエンの姿には、祈る人の感情がにじみ出ている。
11月7日、ニューヨークにいた私に、コーエンがロサンジェルスで亡くなったというニュースが届いた。
長いインタビューをしたいと思っていた。が、それももう叶わぬ夢となった。それが故に尚更、コーエンは私の心の中に生き続けるはずである。
合掌。



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