新年に及んで。

 

知人を亡くした。病気でいたことを知らされなかったのでとても驚いた。同時に、突然に体の内側から何かを力づくでもぎ取られたかの深い一種の暴力をも覚えたことも確かであった。同じ思いは、今から4ヶ月前に、別の友人からも抱かされていた。遡って、かれこれ1年前にも、私より30歳くらい若かった知人の死が私を一時的なパニックに陥れたことを思い出している。人の命には限りがあると知ってはいても、現実にそれを知らされるとその都度、慌てざるを得ない。理不尽なことが起きたような気分に陥ってしまう。この世に在ることが私にとって当たり前になってしまっている存在がふといなくると、裏切られたような気持ちになるのはなぜだろう。私の不遜さに由来するのだろうか。一期一会。幾度となくこの言葉を自ら使いつつ、未だに後悔後に絶たずの日常を繰り返す私の愚かさ。何歳になってもちっとも学びきることがない。アメリカの政権をトランプが握ったことによって世界の動向は必ず変化することだろう。これまで大手を振ってはびこっていた独占的権力体制は自ずと壊れ、新権力に取って代わることだろう、しかしながらそのトランプとて、最終的にはその上に君臨するより中枢の最高権力の前には逆らえないことも多くあることだろう。つまりは、我々には所詮関わりのないことなのだ。中枢権力の奴隷たる我々の未来は、決して明るくない。暮らしはますます厳しくなっていくことだろう。職を失う人の数も大きくなっていくことだろう。少ない余剰所得を巨大な人数で割っていかねばならない。病に倒れる人、ストレスに倒れる人の数も増えていくことだろう。そういう時代にあって、何を以って生きることを肯定していくことができるのか。それは、ひとえに自分を生きることだと思う。自分がどのような特性を持ち、どのような感性を持ち、どのような人々と一緒にいることを望むのか。どのような夢を実現させたいと願っているのか。どのような環境にあるときに快適さを覚えるのか。自分についてを把握したあとでそのような自分の快適さを実現するように努める。自分を生きるとはそういうことを指す。限られた時間を心ゆくまで使うこと。