Kean & Veronica Etro エトロ兄弟の肖像。 HF 2001.October

HF 2001.October

 

Kean & Veronica Etro

エトロ兄弟の肖像。

                      

アンティークのコレクターという家庭に育ち、旅や蔵書を通じで生きた教育を身につけエトロ家の4人兄弟。デザインに携わるキーンとヴェロニカの話を聞くイタリアの家族企業のよき伝統、グローバリゼーションとは別のエトロの行き方が見えてくる。

 

 家族が参加して営まれる企業のあり方は、つい3年前までは、イタリアではごく当たり前の業態だった。モードのメゾンであれば、例えば、父親が経営を、母親がデザインを、大学を出たての若い息子は営業を、楚々とした娘は広報を、といったふうに仕事を分けながら。それが、急速なグローバリゼーションと、激しい競争に打ち勝つための新しい経営戦略として、他企業を買収して拡大を図り、さらに株式に上場して他資本を吸収するという動きによって、瞬く間に家族経営の企業は少数派になってしまった。

エトロ社は、その少数派に属するメゾンの代表である。テキスタイルの製造を始めたのは現在の社長であるジンモ・エトロ氏の父親の代から、服飾雑貨を加えたのはジンモ氏の代から、そして衣装を加えたのは主にその子息の代から。こうして、現在、エトロ社は、テキスタイルと服飾雑貨と婦人と紳士のコレクションの三つの部門を抱えている。従業員は280人。売上高は3200億リラ(約180億円)。この2年間で1400億リラ(約80億円)の増収を見せている。勢いに乗った同社は、1年に1店舗の割合で、売り上げ場数の拡大も図り始めた。

子供の数は4人。長男のヤコポはテキスタイルとホームアクセサリーの方を管理していて、最近はガラス器などもデザインしている。二男のキーンは、エトロ社のクリエイティブディレクターであり、メンズコレクションも手がける。三男のイッポリトは学生時代、アメリカで食品のビジネスを成功させたが、今はエトロ社の財務を担当している。いちばん若いヴェロニカはレディス部門のチーフデザイナーにおさまった。全体の管理と会社の運営にあたっているのが、彼らの父親のジンモ氏。元骨董商という母親は、外部に身を置いてさめた目で彼らの行動や判断を観察しては的確な批評をする役だ。

エトロ家の文化的背景は、コレクションを見れば一目瞭然だ。時代を往来し、異なる文化圏を駆け巡り、歴史をまたにかけ、美しいものへの知識と感受性に浸りきったところからしか出てこないコレクションの内容を見れば。

「僕らが育つ過程で、家の中で、モードのことが話題になることはほとんどなかったように思う。オークションのカタログがそれこそ山のように積まれたテーブルの上で、絵画とか彫刻とかについて両親はいつも、こと細かに説明してくれた。僕ら男3人が育ち盛りのころ、母は時々その騒々しさに耐えられなかったようだった。それで、父に連れられて土曜日などに会社に行っては山と積まれた布の中に隠れたり、布の山の裏側にひそんだりというか、かくれんぼをよくしたね。古い布の中には、時たま、巨大なはえが育つんだ。それを捕まえるのが楽しみだったなあ。父に連れられて旅もよくしたよ。12歳で寄宿舎に入るまでの間だったけれど。

『誰か一緒に来るか』と父が言うと、僕らは勇んで手をあげたっけ。’76年に父とイスラエルに行った時のこともよく覚えているよ。キブツを訪れたり、現代美術館のオープニングに参加したり。砂漠で初めて育ったという魚を見たりね。そこでゴテックスというユダヤ系アメリカ人の会社を訪ねたんだ。その時代のお土産が何と、アラブのファーティマの手だったんだ。ユダヤの象徴じゃなくて。そのことが僕に与えた衝撃は大きかった。僕が後にアラブ史を学んだきっかけは、この体験にあると思っている」キーン氏がこのように語れば、ヴェロニカも「私は両親と出かけたインドとパキスタンが印象に残っているわ。仕事と遊びを兼ねた旅行よ。戦渦にありながら、みんながきれいな刺繍を黙々と続けていたカシミ–ルのことも」と続ける。

「旅は、でも資料室でもできるのよ」

エトロの資料室はそれこそ宝物の詰まった宝物殿である。1700年以降の布の資料はおおかたそろっている。全部で何万冊の書物があるだろか。ヴェロニカはこの資料室の中からコレクションのアイデアを引き出し、キーンは焼き物のパターンのアイディアのヒントを得る。

「インドやグァテマラやインドネシアの布、13世紀から17世紀までの枢機卿の服もかなりの数がそろっているよ。いつか展覧会もするつもりだし、その後でどこかに寄贈したいとも考えているんだ」

 なんという豊かさ。エトロのアイデンティティはこの部屋に集約されていると言ってもいい。

「コレクションを通じて、僕らは語りたいものを語るわけだけど、その語り方がもし十年一日のように同じことの繰り返しだったら退屈じゃないか」とキーン氏が言う。ヴェロニカはそれを受けて、「3ヶ月のコレクション。あれもロシア構成主義からバウハウス、それからロシアのカウボーイ風に展開されていったとキーンに言われたけれど、自然に一つの方向にまとまっていくのよ。一つの出発点から始まって、それがさらに別の話題に連なってロシア構成主義にたどり着いた。とっても自然な流れなのよ」

「最近、企業は巨大化の傾向にあるけれど、僕らは僕らの規模に満足しているんだ。こういう僕らエトロのアイデンティティを発揮して行くことに。それもある層に売るんじゃなくて一人一人の個人のアイデンティティに対して売って行くことにね。各土地ごとのアイデンティティを尊重したいから、エトロの店は各市ごとに異なっている。同じエトロの店でも、日本とドイツのものは違っているよ。この考えで十分に商っていけることは、この2年間の増収が証している。僕らは僕らのアイデンティティを薄めないようにと、そこに集中している。僕らのこの考えを伝えようと思ってエトロの2001春夏の広告写真は、家族のポートレートにしたんだ。店を治めているのも店内の商品を作っているのも、商品について語るのもエトロの家族だ、という品質保証を意味しているのさ。僕らはクリエーティブだからすべて僕らの手でできるんだってこと伝えているんだ。もちろん時には間違いもするよ。その時の傾向にあわせてデザインしたためにエトロのアイデンティティが薄まって失敗したこともあった。もうそう言う失敗はしないと思う」

キーンとヴェロニカは、こうして本誌ハイファッション用のポートレートに収まった。     矢島みゆき