イタリア・モード界の力 — クールなミラノを支えるラテンの血。HF 2001.October

HF 2001.October

 

イタリア・モード界の力クールなミラノを支えるラテンの血。

                      

ミラノは、独自のモードシステムを作り上げることで、世界のミラノとして、君臨する事に成功した。

参入してくる外国人の持つ力を生かして、イメージはクールに、しかし、イタリアらしさは、損なわない。その秘密は、イタリアが常に、新たに創造することを重要と考える人から成る国であり、かつ生産を大事にして、いまだに手工芸のよき伝統が残っていること、コミュニケーションの手段を各種有し各々の手段が、創造に支えられたものであること。IT時代にあっても、やはり時代を動かして行くのは人間なのである。

イタリアは美しい国である。それぞれの美しさがあるが、国中の隅々にまで、配慮と計算の行き届いた街がちりばめられた国というのは、世界にもそう多くは存在しないだろう。国中に、小さな田舎町も含めてそれこそイタリア中に西洋の歴史の流れが渦巻いている。古代ギリシアが、アラブが、エトルスクが、古代ローマが、今なお厳然とあって、人との現実の暮らしの中に息づいている。中世があり、ルネサンスがある。手を伸ばせば触れることのできる歴史の遺産。これらが、過去のものとして葬られているわけでもなく、また、美術館という特別の箱の中にしまい込まれたものでもなく、現代のイタリアの日常の風景の中にたたずんで、人々の暮らしの感覚を培う基盤となっている。過去についての意識なしに、つまり根の部分への意識なしに、未来は存在しない。植物が根の部分なしに花を咲かせないのと、それは同じことだ。過去の文化のあかしとともに、自分が存在できることの幸せを与えられた国、それがイタリアなのである。

 こうした環境が人々にもたらすもの、それは美しいものを美しいと感ずる力。時代を経て生き残った、ある種のプロポーションに対する感受性。時を経て次第に変化していく素材の微妙な変化への感受性。透明な色彩や不透明な色彩を敏感に感じ取る感覚。これらは、イタリア人の血の中に、すっかり情報化されて住みこんでいるかのようだ。美意識にまつわる創造は、したがって、最もイタリア的な性向だろう。ファッション産業は、その恩恵の下にある最たる分野である。

スティリストもエディターも、グラフィックデザイナーもカメラマンも、建築家や工業デザイナーも、自らを“アーティスト”であると規定したがる。それは心が自由であること、創り出す者の立場にあるということ、表現の手段を持っていること、などへの大きな自負のあらわれだろう。彼らは総じて、理屈でなく美しいものに即座に反応し、美術に造詣が深く、ビジュアル感覚に優れている。さらにラテン系民族の常で、形式を嫌い、個性的表現を尊び、自らを表現する能力に長け、それゆえにコミュニケーションの力に優れていて、自尊心も強い。こうした専門家たちによって成立しているファッションの分野は、最もイタリア的な産業の一つといえる。

 この国においては、服は、いわば身体の建築としてとらえられてきた。人間の皮膚と接触を持ちつつダイナミックに伸縮する建築として。したがって服も設計され、デザインされフォルムを与えられる。ミケランジェロの“設計”になるヴァチカンの兵服を見るがいい。やがて、服は建築と同じように非構築化への道をたどっていく。

 ‘80年代から、時代は大きく変わった。物事を深める時代から眺める時代へ。消費者に欲求を持ち続けさせることで彼らの消費行動を引き起こす。そういう設定下の時代にある。しかもそうした設定が効率を持つ範囲を拡大すべく、世の中は一体となって努力してきた。今や、服は、一つの伝統のみからは生まれない。相対立する言語や複数の文化の複合から生まれてくる。それこそはまさにイタリアの伝統的体質なのである。そこに現在のイタリア・モード産業の成功の秘密がある。異種の文化の混合が歴史の始まり以来、延々と繰り返してきたイタリア。それを既に血の中に取り込んできたイタリア人。彼らの体質から生まれてくる創造の一つとしてのファッション。あくまで人間に重きをおいて、人間が自らつくり出すものに心からの賞賛を惜しまないといった人文主義的な伝統下にある社会ならではの創造のシステム。切り取るとか、専門化させるとか能率を優先させるといった産業の現代化とは相いれないメンタリティに由来するものなのだろう。それよりは、つまり切り取るよりは、仕事を分割していくよりは、統合的な文化の中から生み出されてくるものを拾い上げ、プロジェクトの経過の中でより効果の高い方法をその都度リサーチして、それらの総体としてのシステムを作り上げる。その部分には投資を惜しまないという傾向。つまりは、創り出すことへの強い信仰に裏付けられた社会にあるということなのだ。創ることは、販売する立場の側にも共通して存在すれば、職人にも、また経営戦略を立てる立場の側にも共通して存在する。今、イタリアにおいて、ファッションメーカーによるアート支援でチャリティがこれほど多いのも、ブランドの売買がこれほど頻繁なのも、いずれもが新しい経営戦略の創造を目指すがゆえの結果である。ヨットを始めとするスポーツを広報戦略とするのも同様である。

 万人にとっての共通項が多ければ多いほど、多くの職種が集まって成就する仕事のプロセスが生み出す誤差は少なくなる。となれば、そういう仕事のプロセスをシステム化して共有しても、切り取られてしまう部分は少ないということ。イタリアのファッション産業のシステムの成功は、まさにこうしたイタリア人としてのアイデンティティの共有化に支えられて成立するものなのだ、ということがわかるだろう。           矢島みゆき