Beyond Comformity    High Fashion no. 288 dec.2002 -

Beyond Conformity 手仕事はモードを変えるのか?

「人々は、規格品でなく、自分だけの物を求めはじめている。」  「物を創り出す」ということが、創造的行為であるとは限らなくなってしまって久しい。創造は、新しい価値を創り上げることにほかならない。既存の製品のレプリカや従来の商品のバリエーションを創って世に流すのは、いわば公害的行為である。すでに膨大な量の物品があふれ返る今の世の中に、類以の商品をさらに追加していくのは、企業として在るべき姿ではない。  一方、新しい価値を創り出そうとする創造には意味がある。新しい価値を創り出すのに、規格化されたシステムは邪魔な存在でしかない。物創りの発想の源を自分の中に持っていること。豊かな感動の体験を蓄えていること。アイデンティティが明確であること。創造に必要なのは、何者にもとらわれることのない自由な精神だ。  経済を軸としたグローバリゼーションの進行するただ中にあって、情報の量は一段と増し、情報の種類も一段と多様になって、しかも情報の収集能力の差も金銭で補うことができるようになって、あらゆる創造は柔軟な頭脳といちはやい判断の表現にほかならない直感に大きく依存するようになってきている。アートの台頭はまさにその表れである。  一方、消費する側の立場から言えば、大量生産のシステムに支えられた商品が、広告効果でその商品についてのイメージ情報を頭の中にしっかりと刷り込まれてしまったがゆえにほぼ自動的に、そうした広告商品に手が伸びてしまうことに反発を感じはじめている消費者の層が広がりつつある。人々の関心は、今や「うわべの見かけ倒し、すなわちイメージ」から「実質」のほうに向かいはじめている。アイデンティティの明解な商品を求めるようになっているのである。  イタリアの工業生産システムも、洗練された同時に合理化されて、それがゆえに大量の品物の生産が可能となり、高級品の一般への普及が始まったのが’80年代だった。ところが、皮肉なことに、それがゆえに各ブランド間の差異が減って人々の商品に対する関心が下がっていく結果を招いたのである。  今、人々は「ほかにはない物、自分だけの物、あるいは少なくとも容易に入手ができない物」を求めはじめている。   それは一つ、服飾業界の世界にとどまらない。ベルリンやチューリッヒのクラブカルチャーは、まさにこのコンセプト下にある。廃墟や無人の建物の一部をあててスペースを確保し、美しく手を入れてしまうのではなくて在るがままの空間を利用する。そこに古家具や簡易に創り上げた、必要最低限の什器を設置する。大方は、いすと台所、カウンター、そして音楽設置と光だ。テンポラリーな雰囲気に、これまでにない新鮮な魅力が感じられる。貴重な素材をたっぷりと使って、美しい伝統的なプロポーションに仕上げるという作業が古めかしく思われるのが不思議だ。美しく仕上げる、という言葉の持つ意味が大きく変化してしまったのである。 一事が万事。ミラノのファッション状況も急速に変わりつつある。プラダやグッチやアルマーニが健在である今においても、ミラノの町の外れ地域や元の学生運動の拠点地だったチェントロ•ソチャーレに、現在集まってくる大学生たちの格好は、前述のベルリンやチューリッヒのクラブ空間のデザイン状況に類以している。のみの市で見つけてきた古着に装飾を加えて手持ちのほかの服と組み合わせて着たり、さらにエスニック要素を加えたり。コラージュやフュージョンの考え方である。異なる種類の情報の組み合わせである。情報の切り取り方と組み合わせ方が、独自の個性を提示する。そうすることで自分だけのスタイルを創り出す。  「創る」ことへの憧憬が大きくなるほどに、人々の、既製品からの離脱は進んでいく。ストリートに見られるファツションは、大衆化したグローバルな大量生産品への関心、あるいは嫌悪を表している。いわば、’70年代ヒッピー的精神の再来である。   ミラノのプレタポルテのメゾンの動きにも、こうした傾向は明確に見て取れる。  古い布や伝統的な手刺繍やエスニックなどを盛り込んで「ヒッピーシック、リサイクル、レトロ、エスニック、グローバル」といったデザインを見せるアントニオ•マラス。表現こそ違え、考え方においては近いマウリツィオ•ペコラーロ。’80年代の売れ残り品に加飾して新製品を作り上げるパロシュ。断片を再構成し糸を加えて、あえて古着の再利用に見せかけている。’’アラバマ’’や’’中国長城’’。染めや手がきで一点物を強調したローカ。これらの動きをいち早く提案したマルニ。同じ考え方えを暮し全般にまでひろげつつあるサンプラス。単なるトラッシュアート、単なるリサイクルというイデオロギーにとどまらず、音楽にしかり、食物にしかり、日常の暮しの中に、これらのフュージョン感覚が具体的な形を成してきているというのは、見逃せない動きである。 矢島みゆき High Fashion 12 December 2002 No.288