スタジオ日記。



本日の仕事。
1。ある有力ブランドの広告戦略の1企画の恊働スタジオとなった。2013年春からの仕事である。喜ばしいことである。
2。50年代から、イタリア製、と言う単語の同義語を勤めてきたブランドのひとつ、靴のFRAGIACOMO フラジャコモ。昨年、そのオーナが変わって、すべてが新しくなる事になった。
新店舗は VIA TURATI に開く。その工事が今日から始まった。店舗設計は、我々のスタジオである。空間のデザインが設計どおりに完成するか否かは、工事現場の人々の理解次第だ。細部に至るまで設計の意図を克明に説明し、日々、管理しなくてはならない。設計意図を共有できてエネルギーの統合がなれば、一歩一歩完成に向かう日々は、各専門家の大きな感激の相乗効果で幸福感にはち切れんばかりに成る。その逆の場合には悲惨なものであろう。そのために我々のスタジオでは、毎回、施行会社を自分たちで選んできた。
ところが、今回は、既に施主が施行会社を用意していた。アーメン。
具象の柄
幼いときから、具象的な絵柄に関心を持ったことがなかった。小学校の卒業時に学校に残したレンガの上のレリーフも教師はそれぞれ自分の肖像を刻むようにと指導していて、私以外の生徒は自分の顔に近づけた絵にしようと、悪戦苦闘していた。私は、いわばピカソの人物画のような、左右非対称で極端にデフォルメされた顔を描いて悠々と作業を終えた。中学生になるとピカビアをとても好きだと思った。大学生になってからはシュビッタースとかハンスリヒターとか、そういった名前を引っ張り出してきては、彼らについての,あるいは彼ら自信が綴った本の翻訳にのめり込んだ。大学を卒業した頃、私が心酔していたS教授が、ベレンソンの “ ルネッサンスのイタリア画家 ”、という本を必ず読むようにと、半ばそれを強制した。私が具象的な絵画を注意して眺める、それが初めての体験であった。
その後は何の意識もなく、具象も抽象もコンセプチュアルの区別もなく、目の前に在る/やってくるあらゆるものに積極的な関心を持つ日々になった。少し大人に成ったと言う事であったかもしれない。
そして今、イラストレーターのファブリツイオさんのイラストを使ったインテリアテキスタイルの新コレクションが、2013年の4月1日からコインという百貨店のブランドとして販売が始まる。先週、それについての記者会見があった。我々のスタジオはこのプロジェクトの恊働スタジオとして仕事をする。このテキスタイルは、すべてある種の具象的な柄から成っている。それを見た瞬間から現在に至るまで、何と愛らしいのだろう、と思い、思い続けている。このイラストレーターの性格と育ち方の一部を見た気がした。これが逆に抽象的な柄や幾何柄だったら、ココロが動かなかったかもしれない、とも思う。人もものも変わるものなのだ。                                                矢島みゆき
写真はリビアングラス。