受け止める。

 

疑問を持つことは重要である。それは解決に向かう最初の一歩である。
しかしながら、時として疑問を封じて、起きたことを現実をそのまま受け止めるということが、そのまま問題解決の道であったりすることもある。
そのまま受け止めるということは言葉で言うほど容易ではない。質問や疑いや説明を持ちたがる習慣にあるからだ。そして、そういう態度の方が論理的であるというように思い込まされているからである。
1人の人間が理解できる範囲のことには限りがある。必ずしもわかることばかりではない。判らないことは、時として放置するほうが良い。そこに問いを発生させると穴にはいこんでしまう。どれだけ調べても判らないことというのはある。
例えば、他人の心の中や頭の中というのは、どれだけ考えたところで、判るのには限界がある。関係に問題が生じた時には、その現実を受け止めるのが最も努力の要らない解決法である。一旦受け止めたところで、自分のその先の行末を考える。寿命は延びたとはいうものの、永遠には生きながらえるようになった訳ではない。必ず終わりがやってくる。判らない問題にしがみついて、問いを発し、その問いに対する答えを探そうとあぐねてもいたずらに時間が過ぎるだけ。期限付きの時間の無駄使いである。
始まりがあれば、それには必ず終わりが付いてくる。終わりを知らされた時に慌てるのは無様である。
終わりを知らされたら、それを受け止めてその先を試行する。過去には囚われない。
終わったものは終わったのである。それを認めることによって、終わったものが別の内容に変化して新たな始まりになることも多いにある。
わたくしたちの大方は、天候の変化をなぜなのかと突き詰めることに夢中になりはしない。先ほどまで燦々と照り続けていた太陽が暗い雲に隠れて雨が降り出しても、事実として受け止める。なぜ太陽が照り続けてくれないのかという思いに執着することはない。天気の変化は事実として当たり前に受け止める。
同じ思考を応用すれば良いのである。人生は長いようで期限がある。過去に執着して悶々とする時間はない。過去を振り切って先に進むことで、ある時、明確に物事の因果や経過が見えてくるものだ。